野代山 大永寺

[住所] 〒933-0826 富山県高岡市佐野127
[TEL] 0766-23-6582 [FAX] 0766-23-6582
[住職名] 野田 龍亮
[宗派] 浄土真宗本願寺派

<沿革・歴史>

開基の姓氏と身分
相模国(さがみのくに)の住人源氏澁谷(しぶや)金王丸重国(こんのうまるしげくに)八代の後胤(こういん)澁谷紋之助重善(しげよし)と称する北面の士(警護の武士)なり

縁起の梗概(こうがい)
重善は当時の世態人事を躰観して遂に身を緇門(僧)に投じ、浄土真宗八代蓮如宗主の江州(ごうしゅう)大津に在らせられし時に帰依して、専ら其の教化を受け居たり。
次て宗主が加賀の国、吉崎に下向さられし時に、随従し来たり、能美郡野代村三日市に庵居して、時々に宗主の化筵に参上時は文明十八年(1486)丙午(ひのえうま)四月二十四日、宗主は念持佛として六字名号を染筆(せんぴつ)授与せらる其の後、延徳(えんとく)二年(1490)庚(かのえ)戌(いぬ)四月二十八日実如(じつにょ)宗主の名に於て、法名を西善(さいぜん)と染筆授与次て文亀(ぶんき)元年(1501)辛酉(かのととり)四月二十四日、阿弥陀如来の御像を授与せらる於てここに当寺の基礎成立する。しかし西善は享年八十八歳にして大永(たいえい)七年(1527)丁亥(ひのとい)四月二十八日終に楽邦の往生を遂げた。

山号と寺号の所由と其の公称
野代(現在の石川県)の文辞(ぶんじ)は最初の庵居にした地を言う、大永の文辞は其の時代を記念する意味(に於いて撰取したるものにして実如宗主の名に於いて、大永四年(1524)甲(きのえ)甲(さる)五月二十三日後柏原の御世足利義晴時代)六字名号とともに惧に染筆授与せられたるに到る。

変遷の梗概
当寺の第三世従持(じゅうじ)西秀は越中国二上の庄守山(当時城下町)へしばしば應招法談に来往(らいおう)し居たりしが、天文(てんぶん)二年(1533)癸巳(みずのとみ)八月遂に守山城下の町へ移住堂宇(どうう)を建立し、法談教導をなし居たりしが、偶々(たまたま)兵火の災いに罹(かか)り、随(したが)って建つれば亦(また)兵火にあい殆んど其の全部を焼盡(やきつく)したる程の惨状にて、終に其の難に堪(た)えずして、当時の住持五世明信は同三年(1534)壬申(みずのえさる)三月佐野郷佐野村(現千保川木津用水取入口下流沿岸)へ移居す、其の他は亦(現大門町貫流の庄川は当時千保川流域を貫流せるものにして現千保川は其の遺身なり)庄川の沿岸に住せるなればしばしば浸水の厄(わざわい)に逢う、其の後も難水の厄を避脱せることを欲して、其の後元和(げんな)二年(1616)丙(ひのえ)辰(たつ)七月同郷上佐野村へ移転す、是れ即ち現時所在の地なり。

<年間行事>

1月15日 御正忌報恩講
3月~9月 毎月20日 常例法座
6月19、20日 祠堂経
11月2、3日 報恩講