海秀山 大法寺
[住所] 〒933-0927 富山県高岡市利屋町67
[TEL] 0766-23-0115 [FAX] 0766-23-0125
[URL] https://www.daihouji.net/
[住職名] 栗原 啓允
[宗派] 日蓮宗
<沿革・歴史>
海秀山高岡大法寺は亨徳3年(1453年)、京都大本山本圀寺(ほんごくじ)第九世 妙勝院日曉聖人の弟子、栄昌院日能聖人が、越中国開教の命を受け、越中国放生津(現在の新湊)の地に本圀寺布教所として開創された寺院である。開創当初は常安寺と称していたようで、当山第九世 立正院日鋭聖人が自ら本圀寺へ登山し、改めて大法寺の寺号を授与されたとの記録がある。
<安土桃山時代の大法寺~大法寺と檀林~>
高岡大法寺が富山大法寺と共に越中国の西と東の中心寺院となり、越中の法華衆の要となったことで、京都本圀寺も大法寺を前田藩領内の末寺郡の中心としてこれを重要視していたようである。第十三世 円応院日融聖人は、中村檀林(だんりん=教団の最高学府)の能化(のうけ=檀林の指導者)をつとめて当山へ赴任している。第十四世 実性院日真聖人、第十五世 是即院日充聖人も、いずれも聖人号を有していることが本圀寺から授与された御本尊に記されている。その後、第十六世 智雄院日現聖人の代に至って、本圀寺より永代聖跡の寺格を認められている。
<江戸時代以降の大法寺>
明治初年、大法寺は、高岡大火によって全山焼失の事態を迎えるが、第二十五世 髻中院日珠聖人、第二十六世 斯中院日洞聖人の手腕によって数年のうちに再建されている。ちなみに当山は第二十五世の代に永代緋紋白(えいたいひもんぱく)の寺格を授与されている。
身延山 第七十三世 文明院日薩聖人、第七十八世 智等院日良聖人が大法寺に滞在され授与された御本尊が数多く檀信徒のもとに残されている。因みに身延山 第七十八世 智等院日良聖人は、大法寺 第二十三世 慈沾院日梁聖人の法孫(ほうそん)にあたり、その仏縁もあって、身延山門再建の折に、当山の檀家を中心に形成する富山県西部各地域の信行講中が、そろって寄進を寄せている。現在も久遠寺祖師堂縁側高欄の擬宝珠金具に刻まれているのは、その檀信徒講中講員の芳名である。この事をもってしても、当時の身延山と大法寺の強い結びつきを想像することができる。これら各地の信行講中の大半は現在も存在し、活発な信行活動を続けている。
<年間行事>
2月 | 涅槃会、星まつり |
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3月 | 彼岸会 |
6月 | 祠堂会 |
8月 | お盆施餓鬼 |
9月 | 彼岸会 |
10月 | 報恩御会式 |
<墓地・納骨堂>
納骨堂(永代供養墓)『瑞光会館』 https://www.daihouji.net/kuyo/zuikou.html
集合墓所(永代供養墓)『慧明』 https://www.daihouji.net/kuyo/emyou.html
合祀墓所(永代供養墓)『寂照』 https://www.daihouji.net/kuyo/jakujou.html